ASUNA YAMAUCHI

MEMO1

2021-
MEMO2
2020.09
ホラーゲーム
sankaku-sama
できない。いきなり出てくるとビックリする。
しかしホラーゲームの物語やキャラデザ、絵は好き。小さい頃は友人に操作を任せて後ろで見ているのが好きだった。ホラーゲームで特に好きなキャラはクロックタワーゴーストヘッドの翔とサイレントヒルの三角様。翔のいつも守ってくれる感じは恐怖を和らげてくれ、三角様は端整な容姿も相まって圧倒的な強格好良さがあり、登場すると恐怖よりワクワクする。
そして三角様を描いてみた。
NEWS
"You in the mirror 2"が入賞した。去年は制作活動を殆どしなかった。できなかった、とは言えない。今年は作品を作れて良かった。
2020.08
モデル話3
自分の描く、太った中年男性に実在のモデルは居ないと思っていた。しかし、滅多に見ないテレビを見ていて、ある男性が映った瞬間に「この人だ…!」と気付いた。あとは全部忘れていたけれど、その人の最期だけは覚えがあった。死に方の印象だけがずっと頭に残っていたみたい。
2020.07
"You in the mirror 3"
you in the mirror 3
私のエスキースはこんなの。移動中に指で描いた。memoについているお絵描き機能は便利。そして適当すぎる謎の生命体よりも、"L"だけ大文字なところの方が気になると思う。
最初に考えていたタイトルは「鏡の中の君へ」で、もう少し絵もお手紙風だった。キミという語感はドキドキする。二十代前半の頃のドキドキ二人称は「君」だった。タイトルでも小説でも歌でも良い。昔は特定のドキドキ一人称もあったけれど、今は言葉のストライクゾーンが広くなった。
ちなみに現実で君という二人称を使ったことは無いし、向かい合って呼ばれるなら名前に「ちゃん」とか「さん」とかの方が嬉しい気がする。
趣旨がズレてしまった。笑顔になるような面白い事を書こうと思ったのだけれど、ただのお話で完。
2020.06
宮さんが本をくれた!
book
2020.03
手書きメッセージ機能
結構好きで時々使う。
zombies
2020.02
2月版画コースブログ更新
補足
タコの本: 「愛しのオクトパス」(私は未読)
バッタの本:「孤独なバッタが群れるとき」、「バッタを倒しにアフリカへ」
バッタの絵を描こうと思いバッタについて調べていたら「相変異」という言葉を知り、この本と出会った。
緑の大人しいバッタ(孤独相)が、高密度の環境で世代交代する内に黒い攻撃的なバッタ(群生相)に変異するという面白い現象が相変異。集団で広範囲を飛び回り緑を食べ尽くして砂漠化させる黒いバッタが、元は普通の緑のバッタなのだ。バッタとアフリカを救う為に、その変異を未然に防ぐ研究に尽力する日本人の昆虫学者さんの書いた本。
ちなみにバッタはlocust(語源はラテン語で「焼野原」)で、イナゴはgrasshopperなのだそう。イナゴは相変異をしないから名前が牧歌的。
"THE BIG ISSUE"
ホームレスさん達が路上で販売している雑誌。友人たちが時々買うと言っていたので、私も371、367、364号を買ってみた。
上記の号に書いていた内容は全てとても興味深く、関心の視野が広がった。イスラム世界では南の赤道上に宇宙の中心が存在するとか、ケニアで野生動物の保護活動をする獣医さんのお話、ダルマハゼの双方向性転換、構造色、世界短信、等…色んな事をフルカラーで読む事ができる。
雪ウサ・ゾンビーズ
zombies
ちょっと溶けてしまった。
ヘクトルとアンドロマケ
お仕事でキリコさんのこのタイトルの作品と関わる事があった。意味は最近知った。ヘクトルとアンドロマケはギリシャ神話のトロイア戦争の場面に出てくる夫婦の名前らしい。
戦場に向かおうとしているヘクトル王子を、妻のアンドロマケは行かないでほしいと引き止める。しかしヘクトル王子は国だけでなく妻子を守る為にも、戦わない選択はできない。結果、王子は殺されてしまう。アンドロマケさんはその後、ヘクトル王子との子供を目の前で殺した男性の妾にされ…と人生が続くよう。
これを知って観ると、作品の中で寄り添う二人の遠くない未来に永遠の別れが待っている事が分かる。
色々と考えてしまう。知り合いの女性が、「ハッピーデッドエンド」が目標だと言っていた事を思い出す。夫と一緒に死にたいと言う。私も結婚するくらいの人と人生を歩んだら、ハッピーデッドエンドを望むかもしれない。置いて行かれたら探してしまうとは思う。他の知り合いは、伴侶に先立たれて数年経った今でも泣いている。ある男性は、女性には何があっても逞しく生きていく生命力がある、というような事を言っていた。確かに、人も運命も何もかもを許し・受け入れ・生きていける逞しさは女性の原型のような感じがする。しかしアンドロマケさんのように、愛した人や子供が死んだ世界で、それでも生きていく逞しさにどれだけ悲しさがあるのか分からない。
2020.01
制作中
高熱で倒れる前、新しい事に挑戦しようとして躓いていた。全く気に入らない作品が次々と生まれ、改善を試みても悪化の一途。新しい事に挑戦したのが良くなかったのか、それとも版画感覚が狂ったのか…と悩む。強制的に制作禁止になったおかげで、思考が正常に戻った。上手くいかない時は上手くいっていた時と同じ事をする。今回は、新しい事を…と考えすぎて慎重になり、細部まで下絵を描いた事が一番の間違いだった。私の場合、下絵は本当にダメで、線が整って絵が丸くなる。なぞった絵は何度でも描けそう。私が時間逆行してももう一度描けるような絵なんて、人生を後悔できてしまう。絵だけでなく人生の何事においても、もう二度とアレは無理だと思える事は幸せだと思う。
そして次はとても綺麗な絵を描くつもりだったけれど、とりあえずやめた。次のシリーズタイトルは「悪魔の内臓」。死霊のはらわた、みたいな。
2019.11
あすな8歳、何故ネギ
negi
スケッチブックに本のメモをする。
ultra baroque
ホーリーが貸してくれた「ウルトラバロック」という本が面白かった。メキシコの教会の過剰密集の美しさ、自分の感覚の中には今まで無かったけれど好み。
メモ絵は本から。血みどろ過ぎるキリスト像、等。
2019.10
柿の季節
柿酢:無農薬の柿を手に入れたら、ヘタ部分をくり抜いて瓶に隙間無く入れる。柿の表面に薄っすらと白い発酵菌がついているので、洗ってはダメ。柿が潰れたら呼吸だけ確保し(密閉せず)ほぼ放置。数ヶ月待てばお酢になる。味は独特。
2019.08
モデル話2
自分をモデルとした自画像は殆ど描いた事がない。中肉中背の女性モデルとして自分の体を使う時はあるけれど、明確に自画像として描いたのは、大学入学時の授業で描いたものくらい。めえちゃんはあれを見て「やばい子が後ろにいる」と思ったらしいが(席が前後だった)、あれで仲良くなった友人もいる。入学早々のインパクトとしては良かったのかもしれない。
ちなみにめえちゃんが何故それを描いたのか私に尋ねた時、私は「苺が好きだから」と答えたらしい。言ったかもしれないけれど、苺より白桃が好き。しかし桃を描いていたら…と思うと、苺で良かった。
高所作業中でなくて良かった話
屋外彫刻のお仕事に向かっていた時、道の真ん中で派手に転んだ。前から歩いてきていた、小さい子を連れた女性が物凄く心配してくれた。優しい人で感動。
履いていたのはその日が初めてだった、足首付近にフックがついた登山靴で、右のリボン結びの輪が左のフックに引っかかり足がロックされ転んだ。私は痣程度で済んだけれど、調べてみたらこれで大怪我をしている人もいる。こういう事もあるみたい。
作品画像の更新
works
展示が終わったので掲載。
→ goodbye my best friend 1
  goodbye my best friend 2
2019.07
FIGURE: MAN 2 / 2014
figure: man2
1体目をここに載せたのは2018年の4月。2014年に作った2体目。
これも実在のモデルは居ないけれど、イメージモデルは「悪童日記」の双子。あの感情的でない文章が好きだった。絶望的な状況下で、それを凌駕する双子の強さ。心を捨ててでも生き抜く、逞しいほどの狂気は希望の光だと思った。その頃は。
2019.06
モデル話1
モデル用の骨格標本を持っている。等身大ではないけれど、形が精巧で綺麗な点と、骨ごとに取り外せる点が気に入っている。背骨も一つずつ分離する。
頭蓋骨に沿って肉付けすると、こんな顔になった。
model1
2019.04
高校生の頃、辞書で調べた事がある。「手枷の象形。手枷を免れて幸せの意味を表す」と書いていた。白川静先生の本では少し違って、「手枷程度の刑で済んで幸せ」というように書いていたと思う。手枷自体が幸せだという解釈は無いだろうか。
ちなみに井は首枷の象形だったらしい。井戸の意味を持つ漢字は、井ではなく丼だったとか。白川先生のどの本だったか忘れてしまったので曖昧だけれど。
辞書や字典は時々めくると楽しい。
制作のお仕事2
制作時には基本的に、ニトリル手袋を使っている。
ニトリルゴムは天然ゴムと違い、耐油に優れているので版画作業でも破れにくい。
刷りの際には背抜きの組立作業用のものが指先の感覚もあり、着脱もしやすいので便利。手袋をして手を綺麗に保つ事で、作品(のマージン・余白)の汚れ防止になる。さらに滑り止めにもなり、作業しやすくなる。複数版ある場合は、色が混ざらないように色の数だけ手袋を用意している。薄手のものは細かい描画をする時に使う。
work gloves
2019.03
版画コース・4月ブログ記事はおそらく4月中旬頃に更新
「版画の沼」と最初に言ったのは誰だっただろう。
ハマるのは恐い事だろうか?しかし何かにハマるにもハマる才能というものが必要なのだから。弱っている人はハマると言うより縋る。体力・集中力・知的好奇心も強い人が、沈んで抜け出せないものを見つけられたのは幸せな事。
行動する人
その人やその周りの人たちから影響を受けて。メキシコで貰った賞金は、丁度同時期に起きたメキシコ地震で被災した子どもたちに寄付した。色々思われるのを懸念して書かなかったけれど。行動はその大小に関わらず、こんな風に他のところや数年後にまで影響を与える。国境も越えるし、思わぬところに広がる事もある。行動している人たちにそれを伝えたくて書いた。
映像1・2008年
eizou1
写真右上は友人。初対面時、私は方向音痴で家に帰れなくなっていた。友人は(おそらく呆れつつ)一緒に家を探してくれ、送り届けてくれた。それ以降、しっかり者でスラッと背が高い彼女は、友人であり姉のようでもある存在に。危なかった時に手を引っ張って走ってくれた事もよく思い出す。
左上は公園。撮影に付き合ってもらった後、夜の公園で二人で遊んだ。
映像4・2011年
昔作った数分の映像の4番目であり最後。もう人に見せる事は無い。
eizou4
2019.02
editionの決め方
edition
大体10~30の間で決めている。中途半端で立ち位置が曖昧な感じがする、作者にしか意図が分からないような数字を選ぶ事が多い。16は不安感があるのでよく使う。十六夜の月がいざよう気持ちも分かる。
ちなみに数字でなくA.P.と書いているものは作家所蔵の意味。これは総数の中には入っていない。
2019.01
3Dプリンターでフィギュア作り1
以前作った3Dデータを渡したら、3Dプリンターで出力したものをくれた。
形が荒いので、手で修正を加える。
figure
0. 修正前は一番左。大きさは5cm。小さいので横縞の波が目立つ(造形を滑らかにしようと、10cmにしたら頭が取れたらしい…)。
1. 丁度持っていたタミヤの造形パテを一部に盛る。
2. さらにペーストタイプのパテを全体に塗って波を平らにする。
3. その後カッターと320番くらいの紙ヤスリで造形を整える。
4. サーフェイサーを吹き付け、細かな傷を埋める。
次は塗装。
2018.12
クリスマス
サンタさんも私もお仕事。休憩中に雪うさぎを作って遊ぶ。雪が降ったら本物も作りたい。
yuki usagi
lay your body to rest
2月からドイツで展示。
腹部で分断された人体のシリーズ。技法は様々。
lay your body to rest
2010年にアクリルで描いた作品を2015年に再考。↑の写真はその時描いた5のエスキース。
lay your body to rest 3, 4, 5の技法はラインエッチング、インクは銀色。銀色が一番好き。他の作品に比べ、線を省いている。骨や肉は細部まで描かないと伝えられないが、人体は特殊な環境に居ない限り多くの人間が見慣れているので省いても伝わる。
2018.11
「千年も万年も御無事で長生き遊ばして、未来で添うて下さんせ」
大人になって初めて観た文楽の演目は「妹背山婦女庭訓」だった。
敵対する家、その家の子供である久我之助と雛鳥は恋に落ちるのだが、邪魔者が入って舞台は愛故の悲劇に向かって行く。
雛鳥さんも親たちも二人の来世での愛を願ったけれど、来世の久我之助さんは最期に見た光景が焼き付いて生首に美を感じているかもしれない。
何故なら美とは複雑で、単に綺麗だから美しいと感じるわけではない。ただ綺麗な風景や人を見ても綺麗で終わり。感じ入るには至らない。美しさには記憶と原風景が必要、それを見てそれを知って何を想起するかが美しいか否かを決める。
生首を見て、愛する人を想起する。しかもそれが明確には分からず、何故だか分からないけれど生首を見ると狂うような悲しみと愛おしい気持ちになってしまう来世の久我之助さん。ちょっと危ない感じだけれど、雛鳥さんはそれでも会いたいだろうか?
しかし実際に前世来世があるのならば、割合多く潜在的に「死」に美を感じる人が居るはず。残された方は愛する人の死を見るのだから。
No heavenly landscape
News: Blog post
記事を書いてくれたGabrieleさんとKurtさんには、自分の作品の説明を全くしていない。 人が作品について自由に書いてくれた文章を読むのって楽しい。そして内容が面白い。
"the old train is running"
the old train is running
このサイトのworksには載せていないけれど、何回か問い合わせが来た版画作品。
この作品は20歳の時、オーストリアのゲーラスで作った。長岡國人教授の企画で、コラグラフ技法のワークショップがあったのだ。
2週間ほど滞在し、修道院内にある版画工房を使って制作した。記憶が曖昧だが、コラグラフ技法はこの時初めて学んだと思う。
・アルミ板等をハサミやカッターで切り(手に刺さるので軍手が必要。薄い金属板は跳ね返りもあるので注意)、トンカチで叩いたり(砂場や岩の上など、叩く場所や叩く強さで版の表情が変わる)、溶剤を塗ったり、ニードルで描画したりして版を作る。
・この作品の場合19の版を配置している。版を重ねるとアルミ版がプレス機によって変形するので、一発勝負だった。版が移動しないように気を付けながら紙を載せる。普段の銅版画と違い、配置も色も同じ様には出来ないので、エディションは1枚だけ。
・作品サイズは106cm×78cm。ハーネミューレ社の出している版画用紙の全紙サイズ。300gを使用。私の場合は銅版画の作品にも300gを使っているが、特にコラグラフは厚み(≒強度)がある紙の方が向いていると感じる。版の表面が平坦でない場合、紙を突き破る危険性があるからだ。
何作品か作り、気に入ったのは3作。その内の1作がこれ。
滞在中はずっと版画の制作をしていたわけでもなく、ゲーラスの町を散歩したり、修道院の庭で絵を描いたり、みんなと一緒にバスで近隣の町に出かける日もあった。今も愛用している版画道具は、ゲーラスの町の画材屋さんで購入した物。
滞在最終日には参加者全員で展覧会を行った。観に来た町の人が、「あなたが駅で列車を眺めているのを見たけれど、この作品の為だったんだね」と言った。この作品はこの時人の手に渡って、もう私の手元に無い。
2018.09
画材の展示会
仕事の一環で宮さんと行った。筆の試し塗りができ、SK-メテオの2号を気に入ったので買う。ハサミも探していたものが見つかる。他にも色んな画材で遊んだり、宮さんとガチャポンで出た物を交換したりで楽しかった。
全部面白かったけれど、一番印象に残ったのは展示会で出会った・博物館で働く女性。私が化石の色素や龍の骨格など思い付いた疑問を宮さんに言っていたら、聞いていた女性が全部綺麗に回答してくれたのだ。回答を受けて出てきた私のさらなる疑問にも答えてくれた。なんて博識な人だろうと感動。またどこかで会いそう。
my first mezzotint
moon
月。インクは青緑。
2018.08
「強い風が吹いても、彼は友だちの手を離しませんでした。」
絵本用に作った版画は、3枚だけドイツで展示することになった。現物を、ではなく、映像で流して展示。
good-bye my best friend
セットで買ってくれた人が居たので、オマケで木箱を作って渡した。箱上面の印刷は焼印。焼印は凹凸があって良い。銅版画も平坦に見えるけれど実はインクの盛り上がりがあり(強い線が入っている作品だと分かりやすい)、そういう微妙な凹凸がとても好きだ。
2018.07
変身譚
普通にお礼メールを送るのは面白くなかったので、デビルマンを描いて送る。
devilman
山月記なんかもそうだけれど、人間が別の生物に変わるお話は妙に頭に残る。感情や思想、業が人間の器を超えた結果の変身譚は面白い。言葉の上でも良い人を天使と言い、悪い人を悪魔と蔑み、正でも負でも人間ではなくなるのも面白い。人間の範疇に収まらなくなった元人間たちはどこに辿り着くことができるのか。
2018.06
制作のお仕事1
いくつかのシリーズは作品の背景が繋がっている。これは浮世絵の「続絵」から着想。
deep forest
エディション(サインの一番左にある番号。分母16なら限定枚数16枚の作品)は単体の場合と通している。例えばこのdeep forestの1、2のエディションナンバー1/16はこの1枚だけ。単体ずつの1/16は無い。
アスフォデルの花 / Evangeline: A Tale of Acadie
Evangeline: A Tale of Acadie
「哀詩・エヴァンジェリン」を読んだ。
植民地争奪戦に巻き込まれ引き裂かれた愛する人を、何年も何十年もどこまでも見つかるまで永遠に探し続けるお話。故郷を炎の中に失い、同郷の仲間たちは別々の地に流された。それぞれが安住の地を見つける中、エヴァンジェリンとガブリエルはお互いを探して流浪の民となる…。
1847年の作品。日本では1930年出版なので文体が現代のものとは違うけれど、戦前の訳と考えるとかなり読みやすい。訳者の悦子さんは23歳で亡くなったので、最後の方の文章は兄の博さんが訳したそう。100ページほどの短いお話なので、興味があれば是非。
私にとっては出会うべくして出会った本だった。
pale pink bonesのコンセプトも探し続けるところにある。
骨を拾うという行為。死を見る、埋葬する、別れの手順を踏む。それができなかった場合、残された人は永遠に探し続けて永遠に別れを認められない。
もしかしたらあなたの大切な人は、「またね」と言った約束を破るかもしれない。いってきますと言ったまま帰って来ないかもしれない。帰って来なかった人と、どうやってお別れをするのか?どうやって諦めをつけるのか。本当に死んだのか、案外水平線の先で生きているのかも、それとも山道の側溝に骨となって居るかもしれない。別の生物になっていても分かるだろうか?
あなたの骨の色は何色だろう。
ペールピンクの骨は現実の骨じゃない、非現実な墓標。
SKETCHBOOK: thinking about cicadas / 2015
蝉の形を理解する為に2015年の9月から12月の間、拾ってきた蝉の死体を描き続けた。全頁が蝉のスケッチブックがある。
cicada
9月1日。描き始め。拾った時点で頭部が無かったが、おかげで中が分かりやすかった。
cicada
10月2日、13日。これがcicada Ⅱになる。作品の黄色の版は下段の足を元に作っている。
thinking about insects: cicada Ⅱ
cicada
12月29日。cicada Ⅰの元イメージ。
thinking about insects: cicada Ⅰ
スケッチに4カ月も付き合ってくれた蝉。感謝して丁重に埋葬した。
2018.05
16 times ART
In der Ausstellung "16 mal KUNST" zeige ich 10 Drucke aus einer Serie: "Pale Pink Bones / Blass Rosa Knochen".
Ich freue mich, erneut in Deutschland ausstellen zu können.
ドイツでのグループ展、"16 times ART"用の作品10点全て刷り終えた。2018年作の未発表の新作が8点。2017年の作品が2点。全部pale pink bonesのシリーズ。このシリーズもようやく舞台が広がり、コンセプトに近づいてきた。
prints
今展の話は2月にドイツのオーナーさんからきた。失意のドン底で放浪した1月が過ぎた頃だった。
16人の作家は16カ国から参加している。ドイツまで観に行こうか検討中。
資料を観に行く。
sheep
伝統工芸の職人であるいっちーと羊の毛刈りを観に行った。その行為を観たいわけではなく、毛が無くなった羊の体を見たかった。sky blue bodiesの参考資料の為。
このシリーズでは豚、牛、鶏、羊などを描いている。なので当初のタイトルは"sky blue meat"だったが、コンセプトが食肉に関しての問題提起ではないのでbodyにした。
ちなみにこの体はA、これはB、とアルファベットに合った体を選んでいる。これも当初はHappyやLuckyなどのペット名、もしくはハリケーンのように女性名にする案があったけれど、周りから猟奇的すぎると言われてやめた。
sky blue bodiesの作品を数える時の癖で、動物を数える際に全くの無意識で1体、2体などと「体」で数えていたらいっちーに嫌がられる。いっちーは何でも触る。私も一緒に毛が無い羊の体を触ると、油分でネットリしていた。羊は落ち着きなく動き回るが、山羊は私たちに撫でまわされても大人しくしていて可愛い。
2018.04
FIGURE: man 1 / 2014
光の射す角度によって、顔に落ちる影はどのように変わるのか。普段人間の顔を描かないのに、ある日唐突に知りたくなって作った1体目。
材料は家にあった石塑粘土、発泡スチロール。バランスを取るために3本竹串を刺して固定している。
figure: man1
人間の立体を作る時に特定のモデルは居ない。余計な意味も国籍も持たないような顔にしたかったので、いろんな男性の写真を見て作った。
お絵描き友だち(6歳)が入学した
ので、その子の好きな恐竜を銅版画にして贈った。
一緒に絵を描くのは楽しい。恐竜についていろいろ教えてくれるので、私も少し興味が湧いてきた。
figure: man1
将来は私と一緒にお仕事をしたいらしい。
一体どんな風に育つのか、子どもの成長には夢がある。
2018.03
ESQUISSE: thinking about insect collections / 2013
先輩から赤のキラキラペンを貰ったので、それを使って描いたエスキース。無駄にキラキラしている…。
当初は6体並べる予定だった。描いている内に分割して複数の作品にする方が見やすいと考え直し、現在の作品になる。しかし他の作品をまだ描けていない。
insect collections
thinking about insect collections
東京の国立科学博物館にクワガタの頭部を拡大した模型があるんだけれど、ああいうのちょっと欲しくなる。
この旅、果てもない旅のつくつくぼうし
種田山頭火さんのこの一句が好き。旅と言えば一人旅の印象が強い気がするけれど、二人で旅をするお話も好き。一人より二人の方が好きかもしれない。だから二人旅の絵本を描いたけれど、発表する日はいつ来るのか…。
「ある日突然お別れをしなければならなくなった大切な友人を連れて、どこまでも旅をする。この旅には終わりが来るのだけれど…」
2018.02
右手首を中心に…
体中が痛い。クランプを最適な場所につけられなくて、変な体勢で一日中鑿を打ったからだ。
そもそもどうして鑿なのかと言うと、新しく買った天然砥石を試したくて、人から譲り受けた刃が欠けた鑿七丁を半日かけて研いで再生させたので、それをさらに試したくなって木工をしてみたのだった。天然砥石は素晴らしく、鑿の切れ味は凄まじく、ちょっと手を滑らせたら軽い力でも怪我をした。
2018.01
星を数えて死ぬ
「山の怪談」という本を読む。いろんな文筆家さんの山に関する怪談を集めて一冊にしたものだけれど、読了後は恐ろしさよりも文章が美しい印象が残った。特に素敵だと思った一節がこれ。
「巌頭に立ち、空を仰いで星を数えている貂が、感興の増すとともにいよいよ仰ぎ、さてはまっさかさまに墜落し、岩角に頭を打ち、山沢に流れ込んだのが漂うて平地に来る」 ―小池直太郎 『貂の怪異』
星を数えて滑落死するなんて、深い孤独と寂寥感、そして美しさを感じる。
2017.08
ベニクラゲは不老不死
らしい。この世界では有り得ないことなど無さそう。
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MEMO