ASUNA YAMAUCHI

MEMO3

2024.03
世界の中心で必要なのは「おもしれー男」「おもしれー女」
自分の感覚や考えが基本的に脳を占めるので、自分が世界の中心になるのは当たり前。
しかし面白い人が居ると、自分の事がわりとどうでもよくなる。本人がおそらく「面白い」と自覚していないだろう部分が、非常に面白い。ギャグ的な笑える面白さと言うより、「なんか目が離せない」という言葉が近いかもしれない。
自己中心世界で色々と気にしても良い。大丈夫。「そんなところもグッとくる!」と思う人は居る。不本意かもしれないけれど。しかし、「あなたが世界で一番面白い」と、恋人や伴侶じゃなく友人等でも、言える相手、言ってくれる相手が傍に居る人は幸せだと思う。
2024.02
手に取るな、やはり野に置け蓮華草…?
奥地に在る珍しい花の群生が、世間への公表後に荒れた話を聞いた。抜いて持ち帰る人がいたらしい。タイトルの句を思い出す。
しかしこの句の内実は、遊女を身請けする知人を諌める心らしい。今まで知らなかった。
作者の方の真意は分からないけれど、私には遊女の花は穏やかな野に咲く花でなく、切られ売り物になった地獄の花に見える。たくさん稼げば遊郭側からもそれなりに守られただろうけれど、半端な立ち位置の女性は怖い思いをたくさんしたはず。周りの忠告や偏見の目を気にせず、自分の傍に居ようとする愛し合う人の存在は、救いに思えたかもしれない。
そんな二人であれば、新たな場所でもまた別の美しさを身に備えていくと思う。
希望的な言葉を贈りたくなるような「恋人達」ではなかったのかな。
トップイメージ更新
銀筆で描画中。
2024.01
笑顔に勝る文章を書くのは難しい。
このメモも、いつも悩んでいる。笑顔で相手の名前を呼び、挨拶をする。それだけでわだかまりが解けていく。相手に笑顔が無くても。話しながら人柄や考えを知っていく。もちろん完璧に分かるわけでなく、誤解もある。しかし書き言葉よりは伝えやすい、伝わってきやすい。
ネット等の公の場に悪意を書き残すくらいなら、話した方が良いんじゃないかなといつも思っている。「話すは放す」。人に話す行為では放す事ができるけれど、書いたものは放せない。残る。悪意が残り、連鎖する事。「自業自得」は悪い話じゃないと思う。自分の行いが自分に返って来るなら、分かりやすくて良い。他者を守る事に比べれば、自分を守る事は楽。自分で蒔いた種という因果も理解できる。
誰かを叩きたいだけの自己保身にまみれた匿名の悪意は、どこに返るんだろう。
2024、年賀状絵
2024
新年明けましておめでとうございます。
2023.11
オススメのトマト保存方法
今年は夏が暑すぎたのか、秋にたくさん採れた。友人の勧めで、トルコ料理で使う「サルチャ」を作ってみた。トマトを乳酸菌発酵させたもので、酸味が増す。サルチャのようなペースト状にしない、発酵トマトも作った。トマトを使う料理にこれらを入れると、格段に美味しくなる。
今までは、トマトスープにしてきた。お鍋で加熱後、スープにする為ザルで濾す。その際に取り除いた果肉・種・皮、要するにスープの残渣が長期冷凍できる。これはピザソース等のトマト系ソースを作る時に便利。種や皮は取り除くと旨味が欠けるので、食感の気にならないソースでは使用。
トマトの水気をスープとして使っている分、煮詰める時間が短く済み光熱費も減る。サルチャもこれで作った方が簡単だと思うので、次回試す。
展示予定作品の更新
個展時に展示できなかった作品を中心に、比較的可愛い系を出します。
→NEWS
小菅☆チャンス
kosuge
「かもめ☆チャンス」面白かった。↑私の好きな登場人物を描いた。違う世界線の彼を知っているので、幸せそうな様子に嬉しくなった。どんどん可愛く見えてくる。こういう漫画に出てこなそうな人物が主要キャラとして構成される漫画、個人的にとても好き。
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デストピア日記1
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#□□□
寂れたビル群の中の一つの部屋。灰色の鉄筋コンクリート。動かないエレベーター。
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#□□□
階段。切れかかって明滅する蛍光灯に、蛾が群がっている。
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#□□□
道路は割れて、雑草が生えている。
この生命力を素晴らしいと言って、嬉しそうに笑った人も居たっけ。
でもその人は、素晴らしい生命力を褒めるだけ褒めて、自分は真っ先に行ってしまった。
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#□□□
頭上を、最後の飛行機が飛んでいく。
私が乗らなかった飛行機。
「これから」と言う人達を見送った。少しでも足しにしてと、お金になりそうな物を餞別に渡すと、代わりになるか分からないけど…そう言って食糧を置いて行った。未だアナタだけを見る私にも「これから」があるみたい、私は少し可笑しかった。
胸元まで伸びた髪が、雨の気配に纏わりつく。
隣国の3000倍の××を含む、停留した灰色の雲。ねっとりと、何があってもこの国の上空から離れない。
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#□□□
「最後だと言うのなら、……など無いと教えて」
何処からか聴こえてくる、途切れ途切れの歌。
町で見かける、真新しい「人の痕跡」。
私の他にも、この町で生きている人がいる。
灯りの消えた商店街を通り、私は目的地に向かう。
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#□□□
柵の向こうの雑木林には、裸の死体が一体転がっている。
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#□□□
顔だけが綺麗で、体の損傷は激しい。腹部で分断されている。
××に汚染された私はコレがアナタに似ていると思ったので、埋葬せずに毎日通って観察している。
美しいものはいつも壊されるから。
壊されたものが美しく見えた。ガラクタを部屋に集めてみた事もあったけど。
やっぱりアナタじゃなかったな。
……………………クリア(肉・エンド2/4「デストピア日記1」)
2023.10
WORKSのページ更新
作品を追加し、今まで載せていた作品も画像を一新しました。
2023.12.6~12.12
「阪神・にしのみや」さんで展示します。内3日間程、会場で銅版に絵を描く予定です。 →NEWSから詳細
2023.09
小さい頃、阪神淡路大震災に遭った。
家の中に残る家族を置いて、一目散に逃げ去る男性等を見た。私が死ぬ時に見る光景がアレは嫌だなと思った。
家族・会社・動物の群、守れる人でないと下はついてこない。長くトップに立つ人は、外面は冷静だとしても、内面は極めて激しい人が多い印象がある。だからいざという時に闘える。倒れそうな人に、迷わず手を差し伸べられる人は格好良い。
肉体、心、金銭面や生活、外部から…「誰を・何を・何から守るか」自分の信念や方向性で進む道。それに対して顔と名前を晒して議論してくれる人は、裸の王様にならない為には要る。痛烈に批判されても、卑怯な事をしなければ誰かは理解してついてくる。卑怯でも上手くいくかもしれない。しかし、縛り付けなければマトモな人は去っていき、一時的な利益に群がる魑魅魍魎ばかりが残る。そして転んだ時の再起が難しいように見える。
一連の流れ。罪を隠蔽していたメディアも広告に利用しないのかな?と私は思ったけれど、どうなるんだろう。
これを書いた理由は、私の好きなアーティストが、人の為に世の理不尽や不条理に物申すタイプだから。何度も惚れ直すと同時に、気付いた事がある。信頼していたら、去ったとしても理由があるのだと思える。理由が無かったとしても、まーいっかと思える。昔の私に教えてあげたい。
日常の些事、俗悪を超えてゆくもの
「オオカミの家」「コロニアの子どもたち」という映画を観た。どこにでもこういう人がいる。「俗悪」という単語が頭に浮かぶ。
何を書いても誰かの心を傷つけてしまいそうだし、私は匿名では意見を述べないと決めている。色々考えていたが、やはり書いておこうと思う。
俗悪と魔、どちらも「汚濁」という一括りの中で渾然一体となっており、多くの人が忌避感で蓋をして明確に区別できていないが、魔の役割は侵犯。突破力の強い、回避不可能な魅力。侵犯される側は当然汚染されるが、侵犯する側も同程度汚染される。双方に、種類は別としても同程度の危険があるから面白い。
俗悪は一方的な破壊しかしない。俗であるが故に、不安や恐怖を煽る嫌な現実から乖離できない。
日常のつまらない俗悪を超えていけるものが、絶望の渦中に在る人の希望となる。希望というキラキラした言葉と反するようだけれど、魔はここに属す。エイゼンシュテインさんは鑑賞者を忘我の境地に至らせるエンタメの力をエクスタシーと言った。感情の上昇だけでなく下降も含め、大好きなものが脳を満たすのは楽しい。
芸能も誰かの希望なのに、現在の話題は俗悪で溢れている。生きている内に糾弾すれば被害を減らせていたのに、亡くなった後に騒ぎ立てる…というのは問題提起と言うより、何処かの誰かが利益を得る為の流れに見える。他のアイドルの方達にも話が及んでいっているらしいが、傷口を拡げるように根掘り葉掘りする「誰がされたか」が目立つ。そもそも、性も曖昧にしか知らない内に青天の霹靂で襲われる児童への虐待とは、同じ性的搾取でも意味が違うように感じる。とにかく、一掃するには「誰がしたか」の方が必要。
肉の体を持つ限り、何かを必ず犠牲にして生きているわけだけれど。大切な相手に幸せに笑っていてほしいだけの事、人の心を守るだけの事が難しい世界だなと思う。
2023.08
海洋堂さんのリボジオ「ギラファノコギリクワガタ」
FIGURE
数年前の自分の誕生日に買った。脚も翅も動かせる素晴らしいフィギュア。蜂も悩んだけれど、展示物を見た時のクワガタの黒の塗装の美しさが決め手だった。
付属のスタンドが倒れやすく傷つきそうだったので、パネル展示に替えた。
最近アリも新登場したみたい。
SUZURI
SUZURI
・左:スタンダードTシャツ・黒・サイズはG-M。実際に着てみた。生地はしっかり張りがある。黒に印刷した時の色の出方はこんな感じだった。
・右:リュックは、コンちゃんが買って写真を送ってくれた。
・ドライTシャツに印刷した魚の絵は、線が綺麗だった。細い線画をシルクで刷るのは大変なので(目詰まりしやすい)、自分で刷るより頼んだ方が良いと思った。
グッズ作ったのは、闘病中の友人が、私の絵のTシャツを着たいと言った事がキッカケ。SUZURIは在庫を抱えない・経年劣化しない。色や素材の豊富な選択肢から選ぶのも楽しい様子だったから良かったと思う。
今まで使った塗料の中で柿渋が一番好き
数々の塗料作業をしてきたけれど、木材を塗るなら柿渋が最高。他の塗料が「キッチリ綺麗にやらなきゃ」だとしたら、柿渋は適当(私の範疇での適当)でも雰囲気出るからルンルンする。日光での経年変化を眺めるのも最高に楽しい。あと粘度が無い状態の柿渋は個人的にとても使いやすい。
今年は通常の渋柿だけでなく、甘柿と不完全甘柿でも作ってみた。甘柿の渋も青い内は水溶性と読んだ。しかしやはり発酵・圧搾後の時点で既に液の色が違う。
人によっては耐え難い匂いなので(私は平気。ちなみに7月下旬に収穫して作った去年の柿渋は無臭だった謎)、下手に手順を広められない。近隣に迷惑をかけない自信がある人だけがした方が良い。一つだけ手順のポイントとして、澱がゲル化するので保管容器はペットボトルが良いと感じた。あと日陰で2年待つ説もあるけれど、去年は8ヶ月で使用し問題無かった。
夏のホラーゲーム、PSの「夕闇通り探検隊」
KASUKA
人面カラスに呪われた中学生3人が、怪談じみた噂話を集めて放課後に検証していく。ダウンロード再販が未だに無いけれど、人気があるので動画はたくさんある。
絵はカスカちゃんを描いた。メロスは可愛いしみんな面白い。しかし、彼女がこのゲームにインパクトを与えていると思う。
私は「死」に背景があるホラーが好み。個体に興味が湧かないゾンビ集団などと違い、「この人はどうして死んだんだろう?」。
2023.07
魔性
有名な球体関節人形作家さんは、人形の目を少し斜視にすると言っていた。美術は違和感や絶妙な狂いが無いと、目や頭に留まらない。やりすぎはかえって単調であざとい。
もしアナタに、好きな相手が「好みじゃない」と言う部分があったとしても、完璧な好みを好きになる、そんな簡単な浅さでは溺れられないから大丈夫。容姿、性格、その他、何にしても。理想通りというのはある意味、想定の範囲内。魅力の源泉が分かりやすく明解で、どこに何が在るのか透き通って見えて安全。予想外の深みに足をとられる事が無い。つまり溺れるほど嵌らない。
大切なのは提示の仕方。謎なのに納得してしまう存在の説得力に、地獄の底なし沼が在る。相手の好みに全て合わせて「自分」を提示しないのは、未だ知らない楽しみへの気付きを相手から奪う行為に近い。提示の仕方も学習しないままで、成長が無い。
相手が何と言おうともソレが自分の美意識には反していないなら、まずソレが逆に最高に思えるプレゼンをした方が良い。プレゼンをするのも面倒くさいと思う相手なら、気にする必要も無い。
ハメるにもハマるにも資質と相性と全力が要るので、知らない美しさに突き落とされる経験なんて滅多にできない。アイデンティティを賭す最高のエンタメ。しかしそれが自分の人生に無いと気付いた途端に足元がぐらつき、どこに行けば良いのか分からなくなる辺りが魔だと思う。
2023.06
芝田町画廊さんが画像を作ってくれました。
beyond the end
この作品も展示します。6/23お昼頃、友人たちが来るので画廊に居ます。
シート用に工作
シート(sheet):額装していない版画作品の事。収集しやすいので、シートだけを買う人も多い。
シート用に、2.5mm厚のチップボール紙と壁紙で180度開く表紙を作った。ここに展示用シートを挟んでいく。中の模様がピッタリ繋がって大満足。厚みがありすぎてハトメを打つのに苦労したけれど、これなら曲がらなそう。工作は丁寧にするほど楽しい忘却術。
ファイル
トップイメージの変更
6月23日(金)~7月2日(日)のグループ展で展示する作品。今年に完成した絵を3点展示(予定。4に増えるかも)。
→NEWSから詳細
最近
・広島の「ばっちゃん」と呼ばれる、中本忠子さんの本を読んでいた。
・クウとメダカを見ている時間が最近の幸せ。孵化したばかりのメダカが可愛い。毎日ほんの少しずつ大きくなる。私の絵より実物の方が断然可愛いので、滅多に描かない。
2023.05
童話の研究
昔。昔々、その昔。お天気の良かった日に。または雨の降った日に。その次の日に。そのまた次の晩に。それから7日ばかりして。3年ばかり経って。それからお正月が来てお盆が来てまたお正月が来て、そしてまたお盆が来てから。あなたが子どもの頃に。ちょっとご飯を食べている間に。裏の桜の大木が、まだ小さかった時分に。秋が訪れ、木の葉が落ちるまで。日が暮れて、夜が明けるまで。明けきるまで。腰が曲がって髪の毛が真っ白になるまで。お城のてっぺんで。山の麓からずいぶんと遠くまで。村はずれの薄暗い池の中で。
「まぁ…ほんとにほんとに…?」
嬉しくて嬉しくて、嫌で嫌で。幾度も幾度も。眼をまんまるにする。暮れかかる空の下で、真っすぐに黒い影を落とす。…を美しいと思う私の美しい人。雲にとどいて、眼がとどかない。これまでもこれからもそれからそれから。
霧雨が降っていた。
PHOTO
2023.04
紀里谷和明監督の映画、「世界の終わりから」を観に行った。
去年末頃から悪魔の内臓と並行しながら「終わった後の世界に、それでも在るもの。奇妙な純粋さ」を考えながら描いていたので、映画タイトルに惹かれた。
私は自分の苦しみや悩みについてあまり言う気が無いけれど、映画は自分の話をせずとも寄り添ってくれる。自己投影ではなく、自分と違う人生・姿の人の事だからこそ泣ける。
そしてこの令和にもなって道真公のような、椅子取りゲームの嫉妬に殺される人を生んではいけない。立派な役職も、その道での世界で一番も、好きな人の隣も、そういう椅子は確かに一つだけかも。しかし本当にソコに座りたい?何をする為にソコが必要?ソコが誰を求めているかは大切じゃない?ソコしか無い?
ゲームに参加する事自体は悪くない。本気同士なら勝っても負けても引きずり落とすなんて発想にはならず、戦友のような清々しさがありそう。しかし自分の幸せがそこに無ければ立っていていいし、椅子より素敵なものを探しに行きたい人は行っても良いはず。
樹は強者の美学、そして安息に帰る花
私の思う盆栽の魅力は「威風堂々」。盆栽は長く生きるものであるから特に、生命力が強くて堂々たる姿が良い。優美を追求するならば、今にも消えそうな儚げな姿よりも、底知れぬ化け物じみた幽玄に魅力を感じる。おそらく高価な盆栽の購買層は、強さに美意識がある。「凄い刺青の入った親分が盆栽を育てているテンプレ」は面白い。その親分は身体にも家にも、強く在る為の御守りが必要だったんじゃないかと想像する。
花はまた別で、さりげなく寄り添うような可憐さが個人的には好き。食卓や窓辺に季節を感じる一輪があると、ほっとする。花を手折るのは可哀想に思うかもしれないけれど、早めに摘んだ方が株自体は元気でいられる場合もある。
どちらにせよ、何があっても笑顔に立ち返るようにしたい。強く燃やし尽くす心は花に帰り、優しい柔らかさに生きる心は樹に帰り。
構想中だった時のメモ:pale pink bones
ppb memo
最初は落語の演目、「粗忽長屋」に近いイメージで考えていた。探し続けたものが、相手のものなのか自分のものなのか分からなくなるくらい、精神状態が狂っている。
大阪・長堀橋近くの「丸山雄進堂」さん
版画コースブログ
・課外授業として、生徒たちを連れて版画に使う和紙を買いに行った。私はハーネミューレの版画用紙300gを主に使用しているけれど、色が3色のみなので、他の色が欲しい時は和紙を使う。
ここの店主さんはいつも色々と教えてくれるので、とても勉強になる。紙の製造時に使う、ソーダ灰、石灰、水酸化ナトリウムの違い。経年による紙の外周の黄変は、アルカリの水洗が十分でない為に起こる。点状の黄変は素材の油分によるものらしい。
・パルプ(長い繊維の絡まりでなく、短い繊維の集まり)を使ったものに引き裂きなどへの耐久力や強靭さは無いが、そのクッション性から銅版画には適している。どんなに紙自体が良くても、版に適していないと絵が出ない。銅版画の場合は、溝のインクを拾える紙でないと使い物にならない。私は国産雁皮100%とパルプが二層になった和紙を、綺麗にインクを拾ってくれるので和紙の中では愛用している。
・作品用紙として売っている紙は、和紙ほど強度と保存性の高さはなくても、PHはちゃんと中性が多い。ダンボールなどの酸性紙は長くもたない。作品を作る時、買う時は酸性度に注意。
2023.03
近況
・10作くらいを同時並行して制作中。6月終わり頃のグループ展には、その内の数点を展示予定。今日は1作完成した。上手くできた日はいつも嬉しい。
・後輩講師2名の研修指導中。大学を出たばかりの子だけれど、とてもしっかりしている。テキパキとサポートしてくれるので助かる。居ない日が寂しいくらい。
2023.02
余白の芸術
Lee
・生徒の皆が教えてくれたので観に行った。亡くなった、狭間好きな先生が授業でよく、李禹煥さんの作品を取り上げていた事を思い出す。大規模な展示を観るのは12年ぶりくらいで2回目だけれど、今の方が心に響いた。空間の流れが素晴らしく、鑑賞者の存在が許容され、人が多くても落ち着く。石とガラスや鉄板の「関係項」シリーズ、「点より」や灰色の顔料が非常に綺麗な「対話」、好き。安藤忠雄さんの建築にもとても合っていて素敵だった。
・抽象画は具象以上に良い作品が明確に分かる。が、それだけが何故響くのか、未だ言葉にできない。芸術は、最後は個人の好み。自分の好みを考えれば良いだけなのに、明記できない。物としての完成度の高さは絶対。しかし、それ以上の何か。
自分の中の判定基準がどこに起因したものなのか、知りたい。謎である内は表面しか掴めない。謎にも感じない「絶対的な理解」は、言葉にできなくても難なく手に入れている。けれど他人と共有したい場合はやはり、言葉が絶対に要る。共有して、独自の視点や感想を教えてほしい。人の感覚を聞くのは面白い。脳が増えれば思考は広がる。
2023.01
因幡の白兎
明けましておめでとうございます!
rabit
21-22
MEMO2
all
MEMO